| 11/10 | |
05.涙の秘密 |
あれから、季節は移り変わって冬になった。
陽は短くなり、吐息も白い。
早く温まりたいと足を急がせた。家はすぐそこだ。
だが、ふと違和感を感じて、数歩戻る。
あのピアノ屋敷に明かりが灯っていない。
あの少女は出掛けているのだろうか。
いつだったか。少女は、
「屋敷の鍵はいつも掛けてないから、自由に出入りしてもいいよ」
と、物騒なことを言ったことがある。
女性の独り暮らしは危険だ、と言ったのに対し、
「盗られるものなんてないから」
とひとこと言った。
少女が心配で、俺はもう寒さのことを忘れていた。
少女が居たのなら、少し注意して帰ろうと思っていた。
ベルを鳴らした。
少し待ったが出てこない。
二度目のベルを鳴らす前に本当に鍵が開いているのか、気になった。
慎重にドアノブを引くと意に反して、あっさり開いてしまった。
明かりが無い玄関は吸い込まれるような錯覚に陥った。
僅かな罪悪感を感じながら、ゆっくり暗闇に身を滑らせる。
「いるのか・・・?」
いつも遊びに来るリビングは独りでいるには、広過ぎる。
闇に浮かび上がるアンティーク達は動き出しそうで独りでは不安だ。
こんな不気味な部屋には誰もいないだろう。
とりあえず、明かりをつけなくては始まらない。
だが、なかなかスイッチは見つからなかった。
ガタンと何処かにヴァイオリンケースがぶつかった。
「命(みこと)さん!?」
痛切な声と共に、小柄な影が動いた。
「いや、俺だ」
俺の手がスイッチを見つけた途端、パチンと明かりが付いた。俺は眩しくて目を細めた。
周囲を見回すとカーぺットの上に小柄な少女の姿があった。半身を起こしたその顔は、今まで眠っていたのだろう。目の焦点が合わずにぼんやりとしていた。
「ああ。なんだ、音楽君か。おはよう」
「なんてところで寝ているんだ。風邪ひくぞ」
毛布も掛けず、いつの間にか寝ていたのだろう。楽譜がそこら中に散らばっている。
「これ・・・」
楽譜の一枚を拾い上げて、まじまじと少女の顔を視てしまった。
「何故、泣いている?」
少女は溢れる涙を抑えようともせず、手を伸ばし俺の頭に触れた。
「幸せな夢を視たから。・・・君は似ている」
「誰に、だ?」
「誰にだろう?あたしを傷付けて行った人達に・・・」
少女は最後の一粒の涙を零して顔を伏せた。
「ごめん、ね。今日は帰って」
「あ・・・ああ」
俺は気の無い返事をすることしかできなかった。
俺は怖かった。段々、彼女の秘密に近づこうとしているのが。
最初はあった隔たりがどんどん薄くなって行く様な気がして。
俺は逃げたかったのだ。
まったく違った世界にいた彼女が近づいてくるのから。
真実を知ったら、覚悟の無い俺の世界はきっと逃げる。
俺の手の中の楽譜の筆跡は、あの時の『悲愴』と同じだった。

8087 : Hello Hello Hello / sakura_chihaya+ (PC is broken)
陽は短くなり、吐息も白い。
早く温まりたいと足を急がせた。家はすぐそこだ。
だが、ふと違和感を感じて、数歩戻る。
あのピアノ屋敷に明かりが灯っていない。
あの少女は出掛けているのだろうか。
いつだったか。少女は、
「屋敷の鍵はいつも掛けてないから、自由に出入りしてもいいよ」
と、物騒なことを言ったことがある。
女性の独り暮らしは危険だ、と言ったのに対し、
「盗られるものなんてないから」
とひとこと言った。
少女が心配で、俺はもう寒さのことを忘れていた。
少女が居たのなら、少し注意して帰ろうと思っていた。
ベルを鳴らした。
少し待ったが出てこない。
二度目のベルを鳴らす前に本当に鍵が開いているのか、気になった。
慎重にドアノブを引くと意に反して、あっさり開いてしまった。
明かりが無い玄関は吸い込まれるような錯覚に陥った。
僅かな罪悪感を感じながら、ゆっくり暗闇に身を滑らせる。
「いるのか・・・?」
いつも遊びに来るリビングは独りでいるには、広過ぎる。
闇に浮かび上がるアンティーク達は動き出しそうで独りでは不安だ。
こんな不気味な部屋には誰もいないだろう。
とりあえず、明かりをつけなくては始まらない。
だが、なかなかスイッチは見つからなかった。
ガタンと何処かにヴァイオリンケースがぶつかった。
「命(みこと)さん!?」
痛切な声と共に、小柄な影が動いた。
「いや、俺だ」
俺の手がスイッチを見つけた途端、パチンと明かりが付いた。俺は眩しくて目を細めた。
周囲を見回すとカーぺットの上に小柄な少女の姿があった。半身を起こしたその顔は、今まで眠っていたのだろう。目の焦点が合わずにぼんやりとしていた。
「ああ。なんだ、音楽君か。おはよう」
「なんてところで寝ているんだ。風邪ひくぞ」
毛布も掛けず、いつの間にか寝ていたのだろう。楽譜がそこら中に散らばっている。
「これ・・・」
楽譜の一枚を拾い上げて、まじまじと少女の顔を視てしまった。
「何故、泣いている?」
少女は溢れる涙を抑えようともせず、手を伸ばし俺の頭に触れた。
「幸せな夢を視たから。・・・君は似ている」
「誰に、だ?」
「誰にだろう?あたしを傷付けて行った人達に・・・」
少女は最後の一粒の涙を零して顔を伏せた。
「ごめん、ね。今日は帰って」
「あ・・・ああ」
俺は気の無い返事をすることしかできなかった。
俺は怖かった。段々、彼女の秘密に近づこうとしているのが。
最初はあった隔たりがどんどん薄くなって行く様な気がして。
俺は逃げたかったのだ。
まったく違った世界にいた彼女が近づいてくるのから。
真実を知ったら、覚悟の無い俺の世界はきっと逃げる。
俺の手の中の楽譜の筆跡は、あの時の『悲愴』と同じだった。

8087 : Hello Hello Hello / sakura_chihaya+ (PC is broken)



